AVと私

相変わらず嘆かわしい時代が続いている。私はAVをAVとして捉えない。その利用は単純な性欲処理に留まらず芸術的な審美眼を持って接する事を常に心掛けているつもりだ。即ちそれが何を意味するか…AV観賞、それは私のアートワークの一環に成りつつある。水中、それは苦しい
諸君はAVを借り、または買いときには落としその再生スイッチを押す際に、いやさその前に何を置かずに早送りを押してしまってやいないだろうか?だとしたらそれは余りにも残念だ。流石に倫理組合の警告文やメーカーのロゴシーンにまで情熱を注げとは言わないがひとたび開幕した以上、AVの本当の魅力は展開、段取り、間、セリフ、そしてアドリブにある事を知って欲しい。
一言一句を聞き逃してはならない。フェラチオのシーンだからといって飛ばしてはならない。もとよりキスは鍵を担っている。男優の何気ないヨガリを忘れてはならない。それを見る女優の視線を忘れるのはなお良くない。アングルに関心を抱け。瞬きを減らせ。体位とそれに応ずるカメラワークを厳しく見つめろ。喘ぎ声が本物であるかどうかなんてさほど重要でないんだよ。女優の視線を追え。目が合ったら終わりだ、それとなく追え。


どういった過程でSEXに結びついているのかこのSEXは、そこ次第でそのSEXの役割、価値、意味が全く違ったものになってくる。非常に残念なことに最近の女優はよろしくない。演技ができない。かといってもどかしさ故のエロスを出せるでもない。何気ないはにかみ、意識しない吐息、そういったものにこそエロスを見出したいのに。また、度を過ぎる演技も危険だ。「女優」が「女優」と冠されているにはそれなりの仕事をしてもらわなくては困るのだよ。AVという作品の出演への反倫理感、背徳みたいなものが薄れてしまったが故にSEXを軽んじているように見えなくも無い。「してはいけないこと」という意識が無いから戸惑いもない恥じらいもない。裸を見せればAVか?男と交わればAVか?ここはアメリカじゃない、私は…そんなものを認めたくはないんだ…
もっと…彼女たちがあたかもそこにいるような、視聴者自信がまるでSEXに参加しているような、そんなAVの再来を待ち焦がれている。
昔の女は良かった…今から丁度10年くらい前からなのかな、AVの腐敗が始まったのは。
しかしまだまだ期待しているよ。例えその為に食費を削る羽目になろうとも何ら苦痛ではないよ。


私的な視点で話せばサラサラした肌の重なりにエロスを見出すのはまず不可能。肌は心は汗を、粘膜を伴って、それを媒体として初めて同化を得るのだ。